トレジャリー業務の中核である「キャッシュ・流動性マネジメント」の基礎について数回に渡って、説明します。
結局のところ、カネに始まりカネに終わるのがビジネスです。
ビジネスとは、株主、債権者、従業員、仕入業者、そして顧客といったステークホルダーの富を増大させるために、利益を上乗せして物品又はサービスを販売することによりカネを稼ぐことに他なりません。
その中にあってトレジャリー部門の仕事とは、現業部門の従業員を支援し、彼らが稼ぎ出すカネを保全することにあります。
トレジャラーがその職務を遂行するにあたって基本的に重要なことは、多くの企業には多種多様な事業部門があり、それぞれが異なる業界や市場で取引を行っていることを念頭に置きつつ、それぞれの事業がどのようにしてキャッシュを生み出し、また失うのかを理解することです。
よってトレジャラーは、個別事業単位ではなく、企業グループ全体を通じたキャッシュ及び流動性マネジメントを実行できなければなりません。
本稿では、まず流動性(liquidity)、キャッシュ(cash)及び資金(funds)、そしてネットデット(net debt)について、正しい理解を得ておきましょう。
意外に思われるかもしれませんが、トレジャリーの世界において「金銭」(money)という用語が使われることは、ほとんどありません。
それよりも、キャッシュ(cash)、資金(funds)、流動性(liquidity)、そしてネット・デット(net debt)といった用語の方がより一般的です。
これらの用語を定義しておきましょう。
キャッシュ(cash)とは、紙幣や硬貨の実物及び要求払預金(demand deposit)口座に保有している金額を指します。
ここでいう要求払預金とは、預金者が一定の期間を経ることなく、かつ違約金等を払うことなく引き出すことができる預金を言い、例えば、普通預金、当座預金、通知預金が含まれます。
会計の世界では、キャッシュがマイナス(貸方残)になることはあり得ませんが、トレジャリーの世界では、プラス(銀行口座の貸方残)にもマイナス(銀行口座の借方残)にもなり得ます。
それは、多くの企業が銀行との間で当座貸越契約(bank overdraft contract)を結んでいるからです。
企業の帳簿上のキャッシュ残高は、銀行側で把握している残高と一致しないのが普通です。それは、決済システムで処理中の支払い及び受取りがあるためです。企業がキャッシュとして使えるのは、あくまで銀行側の残高であり、トレジャラーにとって、企業の帳簿上のキャッシュ残高は、あまり意味のない情報といえます。
なお、企業がキャッシュとして使える銀行残高のことを、資金化残高(cleared balance)と呼ぶことがあります。
資金(funds)とは、キャッシュ及び短期の定期預金(short term bank deposit)のようなニア・キャッシュ(near cash)の合計を指します。
ニア・キャッシュとは、会計における現金同等物(cash equivalents)に相当する概念で、取引の決済に使えるものと考えておけばよいでしょう。
なお、トレジャラーの多くは、上記に加えて、未使用の信用枠(借入枠)(undrawn facilities)も「資金」と考えていますので、このような場合、「資金」とは、利用可能なキャッシュに、(当座貸越その他の信用枠などの)未使用の信用枠から生じる借入余力を加えた金額を指すことになります。
なお制約なしで利用できるキャッシュと未使用の信用枠(借入枠)の合計を、ヘッドルーム(headroom)と呼ぶことがあります。
流動性(liquidity)とは、一言で言えば「キャッシュへのアクセス(access to cash)」です。
つまり、流動性とは、支払期日に債務を支払う会社の能力と債務に見合うだけの資金を追加調達する能力を指します。
したがって、キャッシュを最低限しか持たない企業であっても、常に借入れが可能な状態であれば、流動性を維持することができます。
実際に多くの企業がそのようにして事業運営を行っています。
流動性には「時間」と「アベイラビリティー」(availability)という2つの次元があるのですが、企業が存続するためには、流動性は常にプラスでなければなりません。
流動性マネジメントとは、短期金融商品(short-term instrument)の売買、運転資本(working capital)の増減、借入の実行・返済のいずれかを通じて、キャッシュへのアクセスを管理することを指します。
キャッシュマネジメントが日常業務の一環であるのに対し、流動性マネジメントはより戦略的な側面を持っています。
ネット・デット(net debt)とは、キャッシュ残高とデット(debt)残高の差額がマイナスであるキャッシュポジションを指します。
例えば、ある企業のキャッシュ残高が50でデット残高が200とした場合、150の「ネット・デット」ポジションとなります。
逆にキャッシュが200残高でデット残高が50であれば、150の「ネット・キャッシュ」ポジションになります。
ネット・キャッシュ・ポジションのことを「ネット・リキッド・ポジション」(net liquid position)と呼ぶこともあります。
企業は、株主価値増大のために、いかにキャッシュを生み出しこれを活用する能力があるかといった観点から評価されます。
企業が資金ショートに陥れば、あとは倒産を待つのみです。
したがって企業活動を支えるうえで、キャッシュ/流動性マネジメントはトレジャラーにとって基本中の基本となる業務です。
また同時に、黒字であることが必ずしもキャッシュを生み出しているわけではない点も理解すべき基本です。
黒字企業が倒産するのはキャッシュが底をつくからであり、たとえ赤字企業であってもキャッシュへのアクセス(=流動性)が維持できている限り、存続できます。